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大阪地方裁判所堺支部 昭和61年(た)1号 決定 1988年7月19日

主文

本件について再審を開始する。

理由

第一確定判決

一  請求人は、昭和五七年一二月二三日大阪地方裁判所堺支部(以下「確定審」という。)において、強姦・殺人被告事件(以下「本件」という。)により懲役一〇年に処する判決の言渡しを受けたが、控訴しなかったため、右判決が確定した(以下、この確定にかかる判決を「確定判決」という。)。

二  右確定審において、請求人が相被告人であったV、W、Y、Xとともに犯したものとして同判決で認定された事実は、次のとおりである。

「(請求人らの身上・経歴及び犯行に至る経緯)

Vは、宮崎県で出生したが、実父の仕事の関係で静岡県へ転居後、昭和四八年初めころに大阪府貝塚市に転居し、同年三月中学校卒業後は、工員、土方、店員等短期間の転職を繰り返し、昭和五三年ころからは仕事もせず、遊興に耽る毎日を送り、家族としては、両親、実弟であるWのほか弟二人と妹一人があるが、本件犯行当時は、友人宅を転々と泊り歩いて住居不定の状態であった。

請求人は、同府貝塚市内で出生し、昭和五一年三月中学校卒業後は、実父の仕事の関係で各地を転々としながら工員などとして働き、昭和五三年八月ころから同府泉佐野市内で鮮魚店店員として稼働しており、五歳のころ実母が死亡したため、祖母、実父、兄妹の四人と一緒に生活していた。

Wは、宮崎県で出生し、実兄であるVと同様昭和四八年初めころに同府貝塚市に転居し、昭和五一年三月中学校卒業後は、同市内等で工員、左官見習等として稼働し、昭和五三年八月ころからはトラック運転助手として働いており、Vを除く家族と一緒に生活していた。

Xは、同府貝塚市で出生したが、六歳のころ実父が死亡したため実母の手で養育され、昭和五一年三月中学校卒業後は、兵庫県西宮市内や大阪府岸和田市内などで工員、土方をしていたが、昭和五四年初めころからは仕事をせず、同府貝塚市内に住む実母、兄の許を離れ、空屋となっていた肩書住居地の叔母の家でD子と同棲しながら遊興の生活を送っていた。

Yは、長崎県で出生し、実父の仕事の関係で来阪し、昭和五一年三月中学校卒業後は、大阪市内等で工員、コック見習等をしていたが、昭和五四年一月一〇日ころ、同市内に兄妹と一緒に住む両親の許から家出をし、仕事をすることもなく前記Xの住居で無為徒食の生活を送っていた。

V、Wの兄弟は、Yと従兄弟の関係にあり、Xは、かつてWと同じ職場で働いたことがあり、またYとも同様の仕事仲間であり、請求人は、Wの中学時代の同級生という関係にあったことから、右五名は遊び仲間となり、最年長のVをリーダー格として、南海電鉄南海本線貝塚駅前にある同府貝塚市近木《番地省略》所在の喫茶店「カーミン」(以下「カーミン」という。)等を溜り場とし泉州地域を徘徊しながら遊興する間柄となっていた。昭和五四年一月二一日(日曜日)午後七時すぎころ、請求人ら五名は、カーミンで合流し、ともにゲーム遊び等をして遊んでいるうち、同日午後九時ころ、Vは、性的欲求をおぼえ、請求人を含む右四名に対し、冗談半分に『女性と関係したいな。』と声をかけたところ、これが輪姦の意であることを了解した右四名もそれぞれこれに同調し、右五名は、間もなくカーミンを出たが、付近路上でVが他の請求人ら四名に対し、自己が最初に姦淫する意思である旨を表明したので右四名は、じゃんけんでその後の輪姦の順番を決め、Vの提案により、五名は、三台の自転車に分乗して同府貝塚市内の二色ノ浜公園へ行き、一人歩きの若い女性をつけ狙ったが逃げられ、他にめぼしい相手を捜したが結局見つからなかったことから、南海本線二色ノ浜駅で下車して来る女性を狙うこととし、同日午後一一時ころ、同駅前広場へ赴き、同所南側売店付近に右三台の自転車を止めた。

(罪となるべき事実)

第一  V、Y、X、W、請求人の五名は、同時刻ころ、右広場付近において、電車から降りて来る女性を物色し始めたが、その際、Vから強姦するのに適当な場所があるかと尋ねられた請求人は、右二色ノ浜駅から北北東へ直線で一五〇メートルの距離にある同府貝塚市沢六二八番地の四所在の高松靖治所有の白色透明ビニールを張りめぐらした野菜ハウス(広さ約二四二平方メートル。以下『本件ハウス』という。)に他の四名を案内し、他に適当な場所が見当たらなかったため、同所を実行の場所と決め、ここにおいて、右五名の者は、本件ハウス内に女性を引っ張り込んで強姦することの共謀を遂げ、V、Yが、他の三名を本件ハウス内に待たせて女性を捜しに出かけ、右二色ノ浜駅の東方約六〇メートルの距離にある永江耳鼻咽喉科前の三差路付近で女性を物色し、同日午後一一時三〇分前ころ、折から、右二色ノ浜駅で下車し、右三差路を北方へ左折して行くA子(当時二七歳)を認めるや、同女を相手に右強姦の企てを実行に移すこととし、VとYの両名が、同女を約一〇〇メートル追尾した後、Vがやにわに同女の腕をつかみ、その脇腹に所携の長さ一二・四センチメートルのカッターナイフを突きつけ、同女に『止れ。静かにせえ。』と申し向け、Yが同女の腕を引っ張るなどして同女を道路左脇(西側)の本件ハウスの東側に隣接する畑に連れ込み、右両名が、同女のパンタロン、パンティー等を剥ぎ取って下半身を裸にし、同女を本件ハウス内に連行し、同所で待機していた請求人、X、Wの三名も加わって同女をその場に仰向けに押し倒し、「助けて」と哀願する同女の首・手足等を押えつけるなどしてその反抗を抑圧し、予め決めていたとおりV、Y、X、W、請求人の順に強いて同女を姦淫し

第二  右犯行直後、右五名は、同女の身体から手を離したが、その際、請求人は、同女が自己の近所の住人であり、同女とは顔見知りであることに気付いて驚愕し、他のVら四名に、『知っている姉ちゃんや。』と伝えたことから、Vは、右犯行の発覚を恐れ罪跡を湮滅するため同女を殺害してしまおうと咄嗟に決意し、他の四名に対し、『いってもうたれ。殺せ。』と指示したところ、右四名も右と同様の動機から直ちに同女を殺害しようと決意し、ここに五名は、共謀のうえ、口々に「殺せ、殺せ。」と言いながら、右言葉を聞いて起き上ろうとした同女に一斉に飛びかかり、『助けて、殺さんといて。』と大声で哀願し、必死に抵抗して暴れる同女を再びその場に仰向けに押し倒し、X、Wにおいて同女の頭髪、手足等を押えつけ、Vにおいて同女の上に馬乗りになって、両手指で同女の頸部を絞め、続いてYにおいてVの左側から同人とともにその両手指で同女の頸部を絞めつけ、更に請求人において同女の頸部扼圧に加わり、よって、即時、同所で同女を窒息死させて殺害し

たものである。」

三 確定判決は、前記認定事実の記載に引続いて、その認定に供した証拠として、次のとおり掲示している。

《証拠の標目省略》

四 請求人は、確定審の公判において、捜査段階での捜査機関に対する本件の自白を覆して犯行を否認し、本件犯行の当時は、Vとともに同人の友人であるLのところにいた旨のアリバイを主張したが、確定審では、確定判決の中で次のとおり判示して、右主張を排斥している。

1  第七回公判調書中の証人Lの供述部分及び第八回公判調書中の証人Nの供述部分によると、V、請求人がL方に泊まりに来たのは、同人らが主張する時刻ではなく、その約三時間後である昭和五四年一月二二日午前一時過ぎころであること、本件各犯行の三、四日後、Lは、Vから、同人、請求人の両名がL方を訪れたのは、同月二一日午後一〇時過ぎであったことにしてくれと依頼された旨供述しているところ、LとNは、いずれもV、請求人両名の親しい友人であるのに、同人らのアリバイの主張に沿わない供述をしており、敢えて虚偽の供述をする動機がないこと、右LとNの供述内容は極めて自然で明確かつ断定的であり、特に請求人らがL方に来た時刻に関する点はテレビ番組の時間にもとづくものであることなどに徴すると、LとNの右各供述の信用性は高いといわねばならない。

2  V、請求人の捜査官に対する各供述調書によると、同人らは、捜査段階においていずれも本件各犯行を全面的に自供したうえ、右犯行後他の三名と別れてL方へ行き泊めてもらったこと、Vは、Lらに対し、右内容に沿うアリバイ工作に及んだことを自認しており、また右犯行直後、そろって貝塚駅に至った際、Vの指示により請求人は、アリバイとして犯行当夜L方を訪問していたことにする旨請求人ら五名が申し合わせたことが認められる。

3  以上の諸事実を総合するとV、請求人がL方に到着したのは同月二二日午前一時過ぎころであったと認められ、公判廷における供述は右アリバイ工作どおりの内容を弁解するものに過ぎず、V、請求人両名のアリバイは成立しないというべきである。

五 また、W、X、Yは、本件犯行当時、門前の家で、P、O、D子、K子の四名とともに飲酒するなどしていた旨のアリバイがある旨供述したが、確定審では、確定判決の中で次のとおり判示して、それぞれのアリバイを否定している。

1  第一〇回公判調書中の証人Pの供述部分及び同人の検察官に対する供述調書によると、同人が門前の家で右Wら三名、D子、Oの五名とともに飲酒したのは、右Wら三名が供述する日時ではなく、その一週間前である昭和五四年一月一四日(日曜日)の午後一一時ころからであること、右飲酒の際門前の家にK子はいなかったこと、この日以降門前の家へ遊びに行ったことはないこと、同月末ころから数回にわたり、D子から、門前の家で飲酒したのは本件各犯行あった同月二一日の日曜日であったことにしてくれと頼まれたこと、更に、D子の頼みに応じて弁護士のところへ、同月二一日飲酒した旨申述しに行く際K子と初めて顔を会わせたことなどを供述しているところ、Pは右Wら三名と親交ある間柄であるのに、同人らに不利な供述をしているが、ことさら虚偽の供述をして同人らを陥れる動機がないこと、供述内容は自然で作為的な点が認められず、特にPが右Wら三名とともに飲酒した日の特定につき、翌日は女性が着物を着飾っていて成人式の日であったことから断言できる旨供述していることなどに徴すると、右供述の信用性は高いものと認められる。

2  O及びSの検察官に対する各供述調書によると、Oが右五名のものとともに門前の家で飲酒したのは同月一四日であり本件各犯行の一週間前のことであったこと、右飲酒の際門前の家にはK子はいなかったこと、同月中に門前の家へ行ったのは一四日及び一七日ころの二回だけであること、Pと、門前の家で右五名とともに飲酒したのは同月二一日であったことにしようと相談したことがあること、K子とは本件後Pとともに前記弁護士のところへ行く際初めて顔を会わせたことなどを供述しているが、右各供述内容に格別不自然、作為的と認められる点は存在せず、その信用性を認めるのに十分である。

3  D子の検察官に対する供述調書によると、D子は昭和五四年一月一六日から門前の家でXと同棲生活をしていたこと、W、Yは同月一八日ころから約一週間以上門前の家へ泊り込んでいたこと、当時Wら三名はいずれも仕事に行かず、従ってD子も何月何日にどういうことがあったのか記憶が定かでないが、同月二一日前後の夜一二時を大分過ぎてから右Wら三名が門前の家へ戻ってきたことがあること、本件の発生した時刻ころにXがどこでどうしていたのかD子にはわからない旨供述していたが、第二四回及び第二七回公判調書中のD子の各供述部分によると、D子は本件犯行当時右Wら三名にはアリバイがあったとして五項冒頭のアリバイの内容に沿う供述をし、同月二一日前後のD子及び右Wら三名の行動を詳細に述べ、更にK子も同日夜の飲酒の際同席していた旨述べるに至った。しかしながら、D子の右各公判期日における供述は右検察官に対する供述の時点(同年二月一〇日)から一年九月ないし二年以上経過後のものであるにもかかわらず当時の出来事として詳細に述べているところ、D子はXと結婚を前提に同棲関係を続けている間柄だったのであるから、右の如き詳細な記憶があるのであれば、逮捕直後Xの無実を明かそうとの一心から、右検察官による調べの際当然アリバイを主張してよいはずであるのに、右検察官調書では何らこれを述べていないもので不自然というほかはなく、右五項の1、2、3の冒頭で述べた各供述内容に照らしても、D子の右各供述部分は、Xらのため虚偽のアリバイを作ろうとして同年一月一四日の門前の家での飲酒を同月二一日の夜の出来事にすりかえようとしたものと考えられ、右各供述部分は極めて信用性に乏しいといわねばならない。

4  なお、第二四回ないし第二六回公判調書中のK子の各供述部分にも五項冒頭のアリバイ内容に沿う供述があるが同項1、2で述べた各供述内容、刑事訴訟法三二八条書面として採用した同人の司法警察員に対する供述調書及び同人が本件犯行当時Yと肉体関係があったことの事情等を併せ考えると、K子がYらのために同月一四日の飲酒を同月二一日の出来事としてすりかえようと虚偽の供述をしたものと考えられ、右各供述部分は信用性に乏しいといえる。

5  また、押収してある総合口座通帳一冊によると、Yは同月二二日銀行預金の払戻しを受けたことが認められるが、しかし、右事実は、Y、W及びXの各法廷供述や証人D子及び同K子の供述をもとにしても、せいぜいYがW、Xとともに門前の家で二二日の朝を迎えたことを裏付けるにすぎず、右Yら三名が本件犯行時においても門前の家にいたとのアリバイの存在を根拠づけるものとはなりえないものである。

6  W、X、Yの捜査官に対する各供述調書によると、右Wら三名は、捜査段階においていずれも本件各犯行を全面的に自供し、右犯行後請求人及びVと別れて門前の家へ向ったこと、四項2で述べたとおり、別れる前である右犯行直後Vから各自アリバイを作っておくよう指示され、XはD子に、YはK子にそれぞれアリバイ工作をした旨供述している。

7  以上、五項の1、2及び6で述べた各供述内容、D子の検察官に対する供述調書、V、請求人両名のアリバイが認められないこと、I子の検察官に対する供述調書により昭和五四年一月二一日午後一〇時前ころ確定審の被告人五名が前記カーミンにいたと認められること等を総合すると、右Wら三名が同月二一日夜一一時ころから門前の家で飲酒していた旨のアリバイは成立しないというべきである。

六 確定判決において認定された事実、その証拠関係及びアリバイ主張に関する判示を総合して考察すると、本件の犯行に対する目撃者はなく、被害者もすでに死亡しているので、確定判決が請求人について有罪認定した証拠のうち中核をなすものは、請求人の捜査段階における捜査官及び裁判官の勾留質問に対してなされた自白であって、それは、請求人と本件犯行を結びつけるものであるところ、同自白の真実性は、相被告人らの検察官に対する各自白並びに第四回及び第五回公判調書中の証人EことF(以下「E」という。)の各供述部分によって裏づけられるものであり、また、医師四方一郎の昭和五四年五月三一日付鑑定書及び鑑定人松本秀雄の昭和五七年二月一五日付鑑定書並びに第五回公判調書中の証人四方一郎の供述部分は、その内容からみて確定審判決のような認定を積極的に裏づけるものではなく、消極的にそのような認定を防げず、同認定に不合理性はないとする消極的な機能を持っているにすぎないものである。

第二確定審で請求人の相被告人であった者らの控訴提起の経緯と同人らに対する控訴審判決の内容等

一  確定審で請求人の相被告人で同時に有罪判決の言渡を受けたV、Y、X、Wは、いずれも判決を不服として、大阪高等裁判所に控訴した(同裁判所昭和五八年(う)第六〇五号事件)ところ、同裁判所(以下「控訴審」という。)は、昭和六一年一月三〇日、右四名全員について原判決を破棄し、無罪の判決(以下「控訴審判決」という。)を言い渡し、同判決は、検察官が上告しなかったため確定した。

二  右控訴審判決の理由の要旨は、以下のとおりである。

1  請求人及びVらの各自白の任意性

(一) 請求人のE(被害者の夫)に対する自白は、請求人ら五名の自白の最初のもので、これが異常な状況のもとでなされたことを窺わせ、その際にEによる暴行、脅迫があったことを直ちに否定することができず、任意でなされたものでない疑いを容れる余地がある。これに引き続く請求人の捜査官に対する自白も、取調当初から取調官によって引き続き暴行を受けていたという請求人の供述を虚偽であるとして排斥できない。したがって、請求人の右各自白をVらの本件犯行を認定する証拠とすることができない。

(二) また、Vらの捜査官に対する各自白は、同人らの司法警察員による取調の際に暴行を受けた旨の各供述は、極めて具体的で迫真性に富むなどしており、これらの供述を虚偽であると排斥できず、同人らの検察官に対する各自白も警察官による不当な影響が遮断された状況の下でなされたものとも認められないので、その任意性について疑いがありいずれも、その証拠能力を否定すべきである。

2  物的証拠

被害者に遺留された体液、本件犯行現場に遺留された指掌紋、足痕跡、毛髪など捜査段階で収集された物的証拠には、請求人らと本件犯行を結びつけるものが存せず、このことは、却って請求人らを本件犯行に結びつける消極的情況証拠になるというべきである。

3  請求人及びVらの各自白の信用性

請求人のEに対する供述並びに請求人及びVらの捜査官に対する各供述には、いずれも、いわゆる秘密の暴露に該当するものがなく、更に、請求人及びVらの捜査官に対する各供述には、余りにも看過し難い変遷、変転が多く、また、その供述の相互間に看過し難いくい違いが数多くあるほか、その供述それ自体の不合理、不自然なものもあって、その信用性を肯定するには、疑問がありすぎ、右のような各供述の変遷、変転、くい違いは、いずれも捜査官の誘導あるいは押付けにより、また自らの想像により捜査官が想定する事実を供述し、あるいはさせられたのではないかとの疑念を抱かざるをえず、結局、請求人及びVらの右各自白の信用性には、疑問があると言わざるをえない。

4  請求人及びVらのアリバイ

請求人及びVらのアリバイ主張については、関係各証拠を検討しても、その成立を認めるには足りないが、また、同時に、そのアリバイの供述が虚構のものとまでは断じがたく、したがって、その成立の可能性を否定し去ることはできない。

5  したがって、Vらの各自白の任意性及び信用性を肯定したうえ、本件公訴事実に沿う事実を認定して同人らを有罪とした原判決には、任意性に疑いのある同人らの各自白調書及び請求人の自白に関するE証言の証拠能力を認めてこれを証拠とした点において訴訟手続の法令違反があり、かつ、証拠の価値判断を誤ったことによる事実誤認があって、それらが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、同人ら四名につき、無罪の言い渡しをする。

第三本件再審請求の審理

一  本件再審請求の趣旨及び理由

本件再審請求の趣旨及び理由は、弁護人作成の再審申立書及び昭和六一年一〇月八日付、昭和六二年一二月一日付、昭和六三年二月一六日付各意見書記載のとおりであるから、これらを引用する。

二  検察官の意見

本件再審請求に対する検察官の意見は、検察官作成の再審請求に対する意見書及び昭和六三年一月二九日付意見書記載のとおりであるから、これらを引用する。

三  事実の取調べ

当裁判所は、事実の取調べとして、次の証拠などを取調べた。

1  弁護人請求分《省略》

2  検察官請求分《省略》

3  双方請求分《省略》

4  取寄せにかかる記録《省略》

第四当裁判所の判断

一  証拠の明白性、新規性について

1  刑事訴訟法四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、有罪の確定判決における事実認定につき合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性ある証拠をいうが、そのような証拠であるかどうかは、もし、当該証拠が有罪の確定判決を下した裁判所(確定審)の審理中に提出されていたならば、合理的な疑いを生ぜしめることなく、その確定判決の認定に達していたかどうかという観点から、当該証拠と同審における他のすべての証拠とを総合的に評価して判断すべきであって、この判断の際にも、再審開始のために、確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判における鉄則が適用されることはいうまでもない(最高裁判所第一小法廷昭和五〇年五月二〇日決定・刑集二九巻五号一七七頁以下参照)。

したがって、確定判決の有罪判断の基礎となった認定事実とそこで挙げられた証拠に、以下のとおりの新規性が認められる証拠を合わせ検討したうえ、同判決の判断の当否を検討すべきこととなる。

2  次に、同号にいう「新たなる証拠」であるが、それは、証拠の発見が新たなことをいうものであって、その存在が確定判決の以前より継続すると、それ以降に新たに発生したとを問わないものであって、新たにといい得るためには、裁判所のみならず再審請求者にとって新たに発見したものであることが要件とされる。したがって、確定判決の以前に捜査機関によって既に収集されていた証拠であっても、裁判所にとって同判決言い渡し後初めて認識可能となったもので再審請求者にとってもその言い渡し後に初めてそれを発見したときは、証拠を新たに発見したものといえる。なお、右証拠には、証拠方法と証拠資料の両方が含まれると解されるので、証拠方法が同一であったとしても、証拠資料としてその内容に相違がある場合には、証拠の新規性が肯定され、また、証拠方法が相違しても同一の供述主体でその内容が同一趣旨であれば、その新規性が否定されることになる。

3  ところで、共犯事件において、その内のある者が有罪判決の言い渡しを受け、それが確定した後にその共犯者とされていたものが無罪判決を受け、それが確定した場合など、相容れない判決が確定したという一事をもって、有罪判決の言い渡しを受けた者に対して、無罪を言い渡すべき明白な証拠を新たに発見したものとして、再審の開始をすることはできないが、右無罪事件の証拠の中に右有罪判決の証拠でなかったもので、かつ、無罪判決の言い渡しを受け得るに足る明白な証拠を新たに発見した場合には、それに基づいて再審の開始をすべきことになる。

以下、本件について証拠の新規性の有無についての考察を加えつつ、明白性を検討する。

二  血液型

1  被害者の腟内に遺留された精液、被害者が着用していたオーバーに付着した精液及び被害者の乳房に付着した唾液の血液型について

確定審における松本秀男作成の鑑定書(以下「松本鑑定書」という。)によれば、請求人の血液型は、AB型でSe(分泌型)、VとWは、B型でSe(分泌型)、Yは、AB型でSe(分泌型)、Xは、A型でse(非分泌型)であることが認められる。また確定審における四方一郎作成の昭和五四年五月三一日付の鑑定書(以下「四方鑑定書」という。)及び確定審における証人四方一郎の証人尋問調書(以下、証人尋問調書のことを単に「証言」という。)によれば、同人は、昭和五四年一月二二日午後四時三〇分頃から午後七時四〇分頃まで被害者の解剖をし、その際、同女の腟内からその腟内液を採取するため、土砂の混入していなかった腟の奥の部分をガーゼで塗布し、そのガーゼで採取された同液に精虫が存しており、精液の混在する同腟内液の血液型が、被害者と同じA型でSe(分泌型)を示したこと、このように体液から血液型が判定できるのは分泌型であること、そして、被害者の死体は、腐敗がなく、同女の死亡推定時刻は、解剖終了時を基準として約二〇ないし二五時間前(同月二一日午後六時四〇分ころから午後一一時四〇分ころまで)であって、その死亡に近い時間に姦淫され、殺害されていることが認められる。そして、翌二二日の午後一時三〇分ころからなされた司法警察職員らによる実況見分の際における被害者の死体の状況であるが、確定審における高松靖治立会いにかかる司法警察職員作成の実況見分調書によれば、被害者の死体は、本件のビニールハウス内の春菊畑の上で仰向けになり、下半身に着衣がなく、両袖に腕を通した赤色のオーバーをその体の下に敷き、両乳房と陰部を露出したほとんど全裸の状態であったこと、同陰部の上に多量の土が付着していたことが認められる。

2  膣内液の血液型について

(一) そこで、新規の証拠である当審で取調べた船尾忠孝作成の鑑定書(以下「船尾鑑定書」という。)及び当審証人船尾忠孝の証言(以下「船尾証言」という。)によれば、本件では血液型物質に影響する可能性を有する有機質が含まれている畑の土砂が被害者の膣内に入っていたが、同土砂による膣内液の血液型物質に対する影響の可能性は、膣内液の採取が土砂の混入していなかった膣の奥の方からなされていることやその死体の放置の状況、すなわち、暖房施設のないビニールハウス内の厳冬期の深夜から午前中でその環境温度が低かったことなどの事情からするとその可能性が全くないとは言えないものの、極めて低いことが認められる。

そして、右船尾鑑定書、船尾証言及び証拠の新規性が認められる当審で取調べた法医学の基礎知識、法医学・改訂増補第三版・松倉豊治編著、標準法医学・医事法制、法医学・宮内義之介著、学生のための法医学、法医学・増補第二版・松倉豊治編著、犯罪学雑誌第二三巻(一四〇頁ないし一四四頁)、法医学・何川凉著(以上、いずれも写)によれば、性交後の膣内液から精液の血液型が検出される時間は、精液の射精量や性交後から殺害までの時間の長さ、死体の環境温度、そして、死亡後の時間などの要因によって左右されるものの、一般的に生体の場合よりも死体(性交後間もなく死亡した場合も含む。)の方が長くなると考えられており、生体の場合でも二日以内であれば、精液の血液型の検出が可能であることが多く、船尾証人の経験によれば性交後間もなく死亡した場合であれば死亡後二日以内であれば、精液の血液型の検出が可能であったこと、年齢や健康状態によって多少相違があるものの性交時に女性が出す膣液の量は、約〇・五ミリリットルであるのに対し、男性が射精する精液の量は、その四ないし十数倍である約二ないし六ミリリットルであることが認められる。

(二) ところで、請求人及びV、W、Y、Xはいずれも全員が被害者を姦淫して射精したと捜査段階で自白しているところであり、もしそのとおりであるとすると被害者の膣内液には請求人らの精液が混在するから、被害者の膣内液は少くとも、AB型ないしB型の血液型(いずれも分泌型)を示さなければならないのに、これを示さずにA型でSe(分泌型)を示しているのであるから、この事実は、請求人らが被害者を姦淫して射精していないことを示唆するものであって、この点から、まず請求人らの自白には真実性がないのではないかという疑問を生じる。

また、確定審及び控訴審で証人四方一郎は、「被害者の膣内における精液量が少ない。」旨供述しているのであるが、通常の性交時における男性の精液量及び本件では請求人を含めて五人が射精したということから考えると、たとえ精液が膣外へ流出し、同女の膣内に土砂が混入していたことを前提としても、被害者の膣内の精液量が少いということは、請求人らが被害者を姦淫して射精していないのではないかということを示唆するものといえる。

もっとも、控訴審で証人勝連紘一郎(以下「勝連証言」という。)は、「死体の場合には、性交後五〇時間までは膣内精虫の検出が可能であるが、精液の血液型については、性交後二〇時間以上経過すると検出することが非常に困難であり、生体の場合には、性交後一六時間以上経過すると膣内精虫の確認が困難となり、また、一二時間以上経過すると精液の血液型は検出されず、膣液の血液型のみが検出される。なお、前記死体の場合の膣内精虫、精液の血液型の検出時間は、死体を資料とする千葉大学法医学教室木村康の『膣内容中精液の証明可能期間について』と題する論文に基づくものである。」旨供述している。しかし、前記船尾鑑定書及び船尾証言によると、勝連証言の基礎となっている右千葉大学法医学教室木村康の論文は死体三二例、生体三九二例を基礎資料とするものであることが認められるから、右論文で述べる膣内容中の精液の血液型検出期間は、ほぼ生体例のものに妥当するというべきものであり、証拠の新規性が認められる当審で取り調べた宮内義之介の鑑定書によっても同論文の発表内容を生体例のものと認めることができる。そうすると、勝連証言は、その基礎とする資料の評価が正しくないのではないかと思われるので、同証言は相当でなく、本件のような姦淫後間もなくして殺害されたものには妥当しない。

3  オーバー付着の体液の血液型について

(一) 前記勝連証言および新規性が認められる勝連紘一郎作成の鑑定書(以下「勝連鑑定書」という。)によれば、被害者が本件の当時着用していた赤色のオーバーの裏地の裾中央付近に人蛋白の証明が得られた手拳大の体液斑痕があり、そこから多数の扁平上皮細胞に混じった精虫が一匹確認され、その体液の血液型は、A型でSe(分泌型)を示したこと、扁平上皮細胞は、膣内の粘膜はもちろん、男性の尿道や亀頭の粘膜からも出ること、膣内の粘膜のものであることを確認するためにはルゴール反応の検査を要するが本件ではこれがなされていないことが認められる。

(二) 被害者が本件の当時着用していた赤色のオーバーに付着していた精液を含む体液は、オーバーをその体の下に敷いていたもののほとんど全裸の状態であった被害死体の状況、精液を含む同体液斑痕の状況、そして、被害者の膣内に精液が認められたことからして、本件の犯行の際に付着した可能性があり、もしそうであるとすると、その血液型からして、同体液に含まれる精液は、Xを除く請求人らの精液である可能性はない。したがって、前記2の(一)(二)で記載したと同様に、ここでも、請求人らの自白の真実性に疑問を生ぜしめるとともに、さらに、そのような事実は、同人らが被害者を姦淫して射精していないことを示唆しているものというべきである。

もっとも、精虫が一匹しか確認されていないところから、それだけからは精液の分量が極端に少なかったものと考えられないわけではないけれども、他方体液斑痕は手掌大のかなり大きいものであり、性交時に出す女性の膣液の量が約〇・五ミリリットルであり、男性の射精する精液の量が約二ないし六ミリリットルであるところからみると、五人が射精したとするにはあまりにも精虫の数が少なすぎるものと考えられるし、右体液がB型を示さずA型のSe(分泌型)しか示さないというのは首肯し難い。右体液から精虫が一匹しか確認されないからといって、これに含まれる精液がXを除く請求人らのものである可能性があるものということはできない。

4  被害者の乳房に付着していた唾液の血液型について

新規の証拠である泉政徳作成の検査処理票及び控訴審の泉政徳の証人尋問調書(以下「泉証言」という。)によれば、被害者の左右の乳房を拭き取ったガーゼ片からアミラーゼ検査によって得られたプチアリン反応により、人の唾液付着の証明が得られ、同唾液の血液型は、いずれもA型のSe(分泌型)を示したことが認められる。

請求人らはいずれも被害者の乳房をなめたり、吸ったりした旨の自白をしており、前記四方鑑定書によれば、被害者の左乳房の乳嘴には咬傷が存したことが認められるので、自白のとおりであるとすると、前記ガーゼ片付着の唾液からはXを除く請求人らの血液型が検出されるはずであるのに、A型のSe(分泌型)しか検出されていないのであるから被害者の乳房に付着する唾液は請求人らのものではないものといわなければならず、このような結果は、請求人らの自白の真実性に疑問を生ぜしめ、同人らが被害者の乳房をなめたり、吸ったりしていないことを示唆している。

5  以上1ないし4のとおり、被害者の膣内に遺留された精液、オーバーに付着した精液及び乳房付着の唾液からはA型のSe(分泌型)しか検出されていないことは請求人らが被害者を姦淫したことを消極的に妨げないというのではなく、積極的に請求人らが被害者を姦淫していないことを示唆しているとともに、いずれも請求人を含む確定審の被告人らの被害者を姦淫したという自白の真実性に対して強い疑問を生ぜしめるものである。

三  請求人の自白の任意性及び信用性について

1  前記血液型に関する事実によって、請求人の本件犯行、とりわけ本件犯行の中枢に関する事柄である姦淫行為それ自体に関する自白の真実性について、重大な疑問が生じた。そこで、更にそれ以外の点について請求人の自白を検討する。

2  新規の証拠である請求人に対する大阪家庭裁判所堺支部昭和五一年(少)第一二四一号、昭和五四年(少)第三七七号保護事件の少年調査記録によれば、請求人は、二歳ころに脳性小児麻痺を患い、そのこともあって知能が劣っていること、そして、本件の事件後間もない時期である昭和五四年二月二六日に実施されたWAIS知能診断検査によると、IQが六〇以下で、新田中BI式知能診断検査によっても、IQが五五以下であり、いずれの検査結果からも精神薄弱の疑いが強く、また、SCT(文章完成法)によると、国語の基礎学力が皆無に等しかったこと、そして、そのころの請求人の精神内容は、空虚で、現実に対する把握が未熟で安易であったことが認められる。

3  ところで、確定審のEの証言並びに請求人の確定審、控訴審及び当審の供述によれば、請求人は、被害者の内縁の夫であるEによって昭和五四年一月二六日午後八時ころ、大阪府貝塚警察署(以下「貝塚署」という。)に連れていかれる直前に、同人に対し、本件の犯行を請求人ら五人で犯したこと(ただし、自己が直接姦淫及び殺害の行為をしたことを除く。)、すなわち、請求人らは、同月二一日の夜、五人で本件ハウスに女性を連れ込み姦淫することを決め、たまたま同所付近をとおりかかった被害者をVとYの両名がカッターナイフを突き付けて同ハウス内に連れ込み、V、Y、X、Wの順番に同女を姦淫し、その際に同女が抵抗したため、Vが殺せと言って同人とYが同女の首を締めて殺した旨を自白し、同署に出頭後間もなく作成された司法警察職員に対する弁解録取書においても請求人は、右と同内容(ただし、殺害の動機につき、犯行の発覚を恐れたVの「殺してしまえ」という言葉がその動機であるという。)の自白をし、そして、請求人の同じ同月二七日に作成された同職員に対する供述調書、翌二八日に作成された検察官に対する弁解録取書においては、自己が被害者を姦淫したことを含めて自白しているが、翌二九日の裁判官の勾留質問調書では、自己が被害者を姦淫したことと首を締めたことを除いて自白し、その後は捜査官に対して、自己が被害者を姦淫したことと首を締めたことを含めて本件犯行を全面的に自白している(同職員に対する同月一日、二日、三日、六日、八日、九日、一〇日、一五日付及び検察官に対する同月六日、一二日、一六日((二通))、三月六日、七日付各供述調書)。

(一) Eに対する自白の任意性について

弁護人は、Eの司法警察職員に対する同年一月二六日、同年二月二日付各供述調書、Q子の同職員及び検察官に対する各供述調書をもってEに対する自白が任意になされなかったことを証明する新規性のある証拠とする。しかし、それらのうち、最初のEの同職員に対する供述調書を除いたものは、いずれも確定審の審理の際に検察官がその取調べを請求して弁護人にそれを開示したにもかかわらず、不同意にした書面であり、そして、右除外した最初の司法警察職員に対する同年一月二六日付供述調書は、Eに対する自白の経緯に関する内容につき、確定審でのEの証言とほぼ同一の内容である。したがって、右弁護人が提出する四通の供述調書は、いずれも新規性が認められる証拠といえない。また、請求人のEに対し自白するに至ったいきさつに関する控訴審での証言も同人の確定審における供述内容とほぼ同一であるから、控訴審での証言も新規性が認められる証拠といえない。また、前記血液型に関する点や請求人の精神能力の点は、いずれも、主として、自白の真実性に影響を与えるものであるから、請求人のEに対する自白の任意性に関して考慮することができないといわざるを得ない。そうすると、請求人のEに対する自白の任意性に関して、新規性が認められる証拠は、ないといわざるを得ない。

(二) 捜査官に対する自白の任意性について

弁護人は、請求人が自白したのは、取調べに当たった警察官から暴行を受けたためであって、請求人の右暴行に関する確定審での供述は、詳細かつ具体性があって信用できるものであるのに対し、同人の取調べに当たった角谷末勝の控訴審での「一月二六日貝塚署に出頭してきた請求人を取調べたが、同人がEに連れられて出頭してきたことを知っていただけでEとどのような経緯があったのか知らなかった。暴行を加えた事実はない。」旨の証言は、同証言によって認められる右角谷が本件の発生後間もない時期からその捜査に関与していたことや右Eが右一月二六日に請求人と同じ貝塚署で取調べを受けていること、そして、前記Eの司法警察職員に対する同年二月二日付供述調書によって認められるEが本件の捜査本部に事件に関すること話していることからすると、右角谷の証言は、信用し難いものであるうえ、さらに、控訴審判決においても、請求人を含む確定審の被告人らがいずれも警察官から暴行を受けた可能性が強いと認定されていることからして、請求人の捜査官に対する自白には、任意性がない旨主張する。また、検察官に対する自白については、検察官と警察官の区別が十分ついていなかったものであるから同自白についても、任意性がない旨主張する。

ところで、請求人の右暴行に関する確定審での供述は、控訴審及び当審における立岩弘の証言によると、主として捜査段階での請求人の捜査官に対する供述調書の任意性について尋問されたことに対して答えたものであることが認められるものであって、新規性が認められる証拠といえず、したがって、右角谷の右証言の信用性に立ち入るまでもない。そして、請求人のその点に関する控訴審及び当審での供述も同人の確定審における供述内容とほぼ同一であるから、控訴審及び当審での供述も新規性が認められる証拠といえない。また、控訴審判決において、請求人を含む確定審の相被告人らがいずれも警察官から暴行を受けた可能性が強いと認定されていることであるが、右のような認定がなされたからといって直ちにその点について、刑事訴訟法四三五条六号にいう再審請求事由を満たすものではなく、その認定の基礎となった証拠資料についてその要件を備える必要があるところ、その認定の基礎となった証拠資料は、同人らのその点に関する公判廷での供述であるところ、右供述の内容は、多少の相違はあるものの、確定審におけるその内容と控訴審におけるその内容とほぼ同じであるから、控訴審でのその点に関する右請求人らの供述は、新規性が認められる証拠といえない。その他、この点に関して、新規性が認められる証拠はない。そうすると、請求人の捜査官に対する自白の任意性に関しても、新規性が認められる証拠は、ないといわざるを得ない。

(三) Eに対する自白の信用性について

Eに対する自白は、請求人を除くV、Y、X、Wが順次被害者を姦淫したという点が前記のとおり、血液型とそごしていることからその真実性につき、重大な疑問があるといわなければならない。また、手帳(当審昭和六二年押五号の1)並びに同人の確定審及び請求人の確定審、控訴審、当審の各供述によれば、Eは、請求人が被害者を姦淫し殺害した犯人の一人であるものとの疑いを強く抱いて同年一月二六日午後七時ころ請求人を人気のない脇浜の海岸に連れて行き、同所で本件の犯行を追及し、その際同人の顔面を手拳で数回殴打したうえナイフなどを突き付けて脅かしたこと、右のようなEの様子から、請求人は、Eに殺されるかもしれないと思って自白したこと、そして、その直後に同人の家で、右自白の内容を右手帳に書かされ、指を切られて、そこに血判を押さされていることが認められる。右のように自白をするに至った異常な経緯及び請求人の知能、資質からみてもEに対する右自白の真実性について重大な疑問があるといわざるを得ない。

(四) 捜査官に対する自白の信用性について

(1) まず、捜査官に対する自白は、請求人が被害者を姦淫した点で前後に相違があるほか請求人を含むV、Y、X、Wが順次被害者を姦淫したという点は、前記血液型の点でその真実性につき、重大な疑問があることEに対する自白と同様である。

(2)イ 次に、司法警察職員作成の高松靖治立会いにかかる昭和五四年一月二九日付実況見分調書及び同職員作成の「貝塚警察署管内発生輪姦殺人事件現場採取資料結果に対する復命」と題する書面並びに竹内勝春の控訴審における証言によれば、昭和五四年一月二二日の実況見分の当時、その東南部にあたる東側の壁のビニール部分に、地上から約五〇ないし四五センチメートルの高さのところに横六〇センチメートル、縦一二ないし二二センチメートルの破損があり、また、その北側の壁のビニール部分にも、地上から約四〇センチメートルの高さのところに横六三センチメートル、縦最大二五センチメートルの破損が各一個あり、いずれも人一人が出入りできる程度のものであったこと、その各破損の状況は、前者は、その破損箇所上縁がほぼ直線状に左右に切られていて破れたビニールの大部分が下に垂れ下がっていること、それに対し後者は、破損箇所が四方に押し広げられたような状態で破れたビニールが四方に広げられていること、そして、その当時、同ハウスとその東側の市道との間には、約四〇センチメートルに成長した高菜と約六五センチメートルに成長したネギの各畑があったが、その各畑には、それらを踏み倒した一本の人が通行した痕跡が残っており、その幅が約五〇ないし六〇センチメートルであり、その痕跡は東側市道からビニールハウスに向けて延びてきて同ハウスの少し手前で西南方に曲がり同ハウス南端の入口のある畦道の方へ延びていること、また、警察の鑑識係員によって被害者の死体があった同ハウスの内外で指掌紋や足跡痕が採取されたが、その際、同ハウスから指紋が二個、被害者の遺留品から指紋が三四個、掌紋が一個採取され、また、同ハウス内から三三個、同ハウス外の周辺の畑などから二〇個の足跡痕が採取されたこと、右採取された指紋のうち対照可能なものは八個で、それらはいずれも請求人を含む確定審の被告人らの指紋と一致しなかったこと、そして、右採取された足跡痕も同人らが本件の犯行当時履いていたとされる履物と一致しなかったことが認められる。

ロ 右の事実を前提にして考えるに、まず、右ビニールハウスの二箇所のビニールの破損に関する請求人の捜査段階での供述には、後記のとおり返遷がみられるものの、右二箇所のビニールを破損した状況について、同人の司法警察職員に対する昭和五四年二月九日付供述調書では、「一人で同ハウスに行き、その東南部にあたる東側の壁のところで二本の指先をビニールにギューと押し付けると、穴が開き、その破れ目に両手を突っ込み、両方に開けるようにして穴を開けて、そこから頭を突っ込み、這うようにして中へ入った。そして、同ハウスの北側の壁のビニールも右東南部にあたる東側の壁のビニールを破ったと同様の方法で破り、そこから頭を突っ込み、這うようにして外へ出た。」旨供述し、検察官に対する同月一二日付供述調書では、「右二箇所とも同じ方法で開けた」旨供述している。しかしながら右二箇所の破損状況は、同じ方法で破ったものとしては相違がありすぎるうえ、東南部にあたる東側の壁のビニールの破損は、右供述のように二本の指先を押して穴を開けてこれを両方に開けるような方法では生じ難いものと考えられる。そうすると、請求人のビニールハウスのビニールを破損して穴を開けた状況に関する右供述は、現場の客観的事実に符合せず、その真実性に疑問が残る。

次に、同ハウスとその東側の市道との間に位置する高菜とネギの各畑に残っていた一本の人が通行したと認められる痕跡に関して、請求人の司法警察職員に対する同年一月二七日付供述調書(一二枚綴りのもの)では、「Vが被害者の女の人の左腕を片手で掴み、もう一方の手でカッターナイフを同女の背中に突き付け、Yが同女の右腕を両手で掴んで前記畑の中を三、四歩、歩いた時、VとYが無理矢理同女のズボンなどを脱がしたりし、その後右同様の態様で同ハウスまで歩いてきた」旨供述し、同職員に対する同年二月二日付供述調書では、「菜畑の真中辺りで被害者が大声をあげて逃げようとしていたのをVとYが押し倒し、そこで被害者の下半身が裸となり、そのあと前記畑の中をVが被害者の女の人の左肩を片手で掴み、もう一方の手で何かを同女の背中に突き付け、Yが同女の左腕を両手で掴んで同ハウスまで突いたり、引っ張ったりして歩いてきた」旨供述し、また、同職員に対する同年二月九日付供述調書には、「VとYの二人は、被害者の女の人を挾むようにして菜っ葉畑の真中ぐらいまで歩いてきたとき、Vらが同女を押し倒し、無理矢理ズボンなどをぬがし、そのあと、同女を挾むようにして同ハウスの南側に出る畦道に出て、同ハウスの南側の入口のほうへやってきた」旨供述し、検察官に対する同月一二日付供述調書には、「VとYの二人は、被害者の女の人を畑の中で倒し、そのあと、Vらが同女を捕まえて同ハウスの南側に出る畦道に出て、同ハウスの南側の入口のほうへやってきた」旨供述している。請求人の右各供述には、畑の中で歩いた場所、歩いた時の三人の位置関係、状況などにつき供述の変遷が認められるうえ、右供述のうち、VとYの二人が被害者を押し倒したのち、畑の中を同ハウスの南側に出る畦道に出て、同ハウスの南側の入口のほうへ歩いた旨の供述は同畑の中の踏み跡の位置がこれにそっていないばかりかVとYの二人が被害者の女の人を挾むようにして歩いた旨の供述のとおりとすると、その歩いたあとの踏み跡は、少なくともその幅が五〇ないし六〇センチメートルよりも大きくなると思われるのにその幅は、五〇ないし六〇センチメートルぐらいであるのにすぎないのであるから、請求人の右供述は、その主要なところで変遷があるうえ、客観的事実に符合しない点もあるので、その真実性に疑問が残る。

また、同ハウスの内外で採取された指掌紋や足跡痕の点に関しては、請求人は、VとYが畑を通って被害者を同ハウスに連れ込み、そこで同女をVら五人で姦淫し、殺害した旨自白しているほか、指掌紋が採取された被害者の荷物について、請求人の司法警察職員に対する同年一月二七日付供述調書(一二枚綴りのもの)には、「Vが一人で畑の中に行き、被害者の鞄や紙袋を同ハウスの中に持って来てその中を調べたりし、そのあとYにそれらを市道の所まで持って行かしていた」旨、そして、検察官に対する同月六日付、同月一二日付および同職員に対する同月三日付、同月一〇日付各供述調書には、「請求人がVから指示され、被害者の荷物を取ってきてVに渡したところ、同人がその荷物を手にしたり調べたりし、そのあと請求人が元の場所に戻した」旨供述しているところであって、請求人の右供述のとおりであるとすると、同人を含む五人の者が同ハウスの内外を歩いているはずであるから、同人らがその足跡を消そうとしたとしても完全に消し去ることは困難でなお若干のものが残っていたはずであると思われるのに同人らと一致する足跡痕が発見されておらないうえ、また、指掌紋についても、被害者の遺留品から少なくとも請求人ないしVあるいはYの指掌紋が発見されるはずであるのに同人らと一致する指掌紋が発見されていない。右請求人らの足跡痕、指掌紋がなに一つ発見されていないという事実は、同人らと犯人との結びつきを積極的に立証できないというだけでなく、むしろ同人らが犯人でないことを推測させるものであり、そして、請求人の右供述は、客観的事実に符合しないと思われるので、その真実性に疑問が残る。

(3) さらに、請求人の本件犯行についての捜査段階での自白は、以下のとおり本件犯行の枢要な点において看過し難い主要な供述内容の変遷、供述内容それ自体の不合理、不自然なものがある。

イ 本件ビニールハウスへの進入状況

請求人は、同ハウスへの進入状況について、同人の司法警察職員に対する昭和五四年一月二七日付供述調書(一二枚綴りのもの)では、「皆で同ハウスの所まで行き、請求人が同ハウスの東南側のところに元から開いていた直径五〇センチメートル位の穴から中に入り、同ハウスの南東側付近にある戸を内側から開けて他の四人をその中に入れた。」旨供述し、同職員に対する同日付供述調書(一一枚綴りのもの)では、「請求人は、同ハウスの中程から頭を突っ込んで中に入り、中から開戸を開けようとしたが、開かなかったので又右の穴から外に出て、同ハウスの表側から開戸を開けた後皆がやって来たのでその中に入れた。」旨供述し、同職員に対する同年二月二日付供述調書には、「請求人は、同ハウスの東側中程のビニールを破り、そこから頭を突っ込んで中に入り、中から開戸を開けようとしたが、開かなかったので又右の穴から外に出て、同ハウスの表側から開戸を開け、皆を呼びに行き、同ハウスの中に皆を入れた。」旨供述し、検察官に対する同月六日付供述調書には、「請求人は、皆を連れて同ハウスへ行き、同人が同ハウスのビニールを破って中に入り、中から戸を開けて他の四人をその中に入れた。」旨供述し、同職員に対する同月九日付及び検察官に対する同月一二日付各供述調書には、「請求人は、同ハウスの東南部にあたる東側の壁のビニールを破り、そこから頭を突っ込んで中に入り、中から開戸を開けようとしたが、開かなかったので同ハウスの北側の壁のビニールを破ってその穴から外に出て、同ハウスの表側から開戸を開け、皆を呼びに行き、同ハウスの中に皆を入れた。」旨供述し、同職員に対する同月一五日付供述調書では、「請求人は、同ハウスの東南部にあたる東側の壁のビニールを破り、そこから中に入り、同ハウスの北側の壁のビニールを破ってその穴から外に出た。」旨各供述している。

そこで右各供述を検討するに、同ハウスのビニールの破損部分及びその個数についての供述内容の変遷状況及びその変遷の内容であるが、同職員に対する同月九日付供述調書以前は、同ハウス東側の穴の出入の状況について述べているのに同日から後は同穴のほか同ハウス北側の穴の出入についても供述しており極端にその内容が変遷しており、同日付供述調書には、そのように訂正(変遷)した理由につき「現場に案内して行った時、間違っていることに気付いた。」旨供述している。しかし請求人が右現場に警察官を案内して行った時には同ハウスのビニールの破損部分は、既に補修さていて、穴の痕跡は残っていなかったことが証拠上明らかであるから、何を根拠として訂正したのか理解し難く右訂正した供述は不自然であるうえ、同日以降のものは、それ以前に行われた同年一月二二日の実況見分の当時の同ハウスのビニールの破損部分及びその個数と一致しているのであって、このことと請求人の資質能力からみるとそのような供述内容の変遷状況及びその変遷の内容は、捜査官による誘導によってなされたことを強く推測させるものである。また、同ハウスの戸を開けた状況については、最初同ハウスの内側からであると、次いで同ハウスの外側からであると、そして、同ハウスの内側からであると戻り、更に同ハウスの外側からであると二転三転と変遷しており、真実請求人が同ハウスの戸を開けたのであれば、かように記憶が変転するということは考えられないうえ、前記司法警察職員作成の高松靖治立会いにかかる同月二九日付実況見分調書によれば同月二二日の実況見分の当時、同ハウスの出入口の戸は、外から閂が掛けられていて内側から開けられなかったことが認められるので、この点についても、右客観的状況に合わせるため捜査官によって誘導されたことを強く推測させる。さらに、請求人が同ハウスの出入口の戸を開けた際、同ハウスの所に他の四人がいたのか、それとも請求人が他の四人を呼びに行ったものかという点、及び請求人が同ハウスに侵入するための穴が元々開いていたのかという点についても、その供述内容に変遷があり、その供述の変遷は、不自然というほかない。右のとおり、同ハウスへの侵入の状況だけでも通常では考えられないような供述内容の変遷があり、その変遷状況と客観的事実との関係、そして、請求人の前記知能の程度を総合すると、同人が自己の経験に基づく記憶に従って捜査官に対して供述したものであるとは到底考えられないところである。

ロ 被害者がEの妻であることを請求人が認識した状況及び被害者の着衣の状況

請求人は、被害者がEの妻であることを認識した状況及び同ハウスに入ってきた前後の同女の着衣の状態につき、司法警察職員に対する昭和五四年一月二七日付供述調書(一二枚綴りのもの)では、「VとYが被害者を同ハウスの中に連れてきた時、同女は、ブラジャーを付けてオーバーを着ているだけで下半身裸の状態であった。その時に同女がEの嫁さんと気付いた。」旨供述し、同職員に対する同日付供述調書(一一枚綴りのもの)では、「VとYが被害者を同ハウスの中に連れてきた時、奥のほうにいたため、その時の同女の様子は、はっきりわからなかったが、同ハウスの中で丸裸にされており、そのあと、私は、最後に強姦していた際に被害者がEの嫁さんであると気付いた。」旨供述し、同職員に対する同年二月二日付及び検察官に対する同月六日付各供述調書では、「VとYが被害者を同ハウスの中に連れてきた時、同女の下半身は裸であって、上半身はオーバーを含めて服を着ていた。そのあと同女を立たせた侭みんなでブラジャーや着ていた服を全て脱がせた。そして、私は、最後に強姦した後で被害者がEの嫁さんと気付いた。」旨供述し、同職員に対する同月九日付供述調書では、「VとYが被害者を同ハウスの中に連れてきた時、同女の下半身は裸であって、上半身はオーバーを含めて服を着ていたが、それらのボタンは、皆外れていたようであった。そのあと、私は、最後に強姦した後で被害者がEの嫁さんと気付いた。」旨供述し、検察官に対する同月一五日付供述調書では、「VとYが被害者を同ハウスの中に連れてきた時、同女の下半身は裸であったが、上半身には、ボタンをとめていなかったもののオーバーを着ていた。そのあと皆で同女を仰向けに倒し、右着ていた服やブラジャーを上のほうに捲り上げた。そして、私は、最後に強姦した後で被害者がEの嫁さんと気付いた。」旨供述している。

そこで右各供述を検討するに、強姦時及びその後の被害者の着衣の状況ことに強姦の際に丸裸にしたかどうかの点が同職員に対する同月九日付供述調書の前は丸裸であると述べ、同日以降は上半身は着衣をつけオーバーを着ていたと供述し極端にその内容が変遷するものであるところ、同日付及び検察官に対する同月一六日付(三枚綴りのもの)各供述調書には、そのように訂正(変遷)した理由につき「そのあと同女の右着ていた着衣を脱がせたかどうかという点について、前の調書では、皆で同女を丸裸にしたと言っているが、それは上半身に着ていたものが前ボタンであって、それらが全部外れ、両側に開いていたため、上から見ると丸裸のように見えたからそのように言ったものである。」旨の供述をしているが、同女の着ていたオーバーが赤色のものであって、オーバーを含めて上衣の両袖に両腕を通しているのを通していないように見間違うことは、到底考えられず、その変遷それ自体不自然であるうえ、右九日以降のものは、前記同年一月二二日の実況見分の当時の同ハウス内で赤色のオーバーや上着(ブラジャーを含む)を着たまま死亡していた被害者の状況と一致しているのであって、そのような供述内容の変遷状況及びその変遷の内容は、前記請求人の知能の程度を併せて考慮すると、捜査官によって誘導がなされたことを強く推測させ、請求人がその経験に基づく記憶により供述したものであるとは到底考えられないところである。

そして、請求人が被害者をEの嫁さんと気付いた時点についても、右のとおり、当初は、同ハウスに連れてこられた時、その後、請求人が被害者を姦淫している時、さらに、請求人が被害者を姦淫した後と徐々に後にずれるようにその供述内容が変遷しており、関係証拠によれば確定判決で認定している本件の犯行時ころ、本件の犯行の現場である同ハウスの内外では人の識別をなし得る程度の明るさであったことが認められるところ、請求人が同ハウスの中から外の様子を伺っていたのであれば、その暗さに眼が慣れ、人の識別が可能であったことが考えられるから、請求人が被害者をEの妻であることを知っていたのであれば請求人が被害者を見た初めのほうの段階でそのことに気付いたものと思われるのみならず、請求人は他の共犯者が被害者を姦淫する際終始被害者の腕を押さえていた旨供述しているから、この間に当然被害者がEの妻であることに気付いているはずである。請求人が自ら被害者を姦淫している時に初めてEの妻であることに気付いたとか、被害者を姦淫し終わって被害者が上半身を起こしたとき初めてEの妻であることに気付いたというのは極めて不自然である。この点につき、請求人は、同職員に対する同月九日付供述調書で、「みんなや僕が姦淫している時、同女が顔を左右に振ったりしていたため、その顔がはっきり見えなかったが、その後で同女が上半身を起こして座ったようになったとき、はっきりわかった。」旨供述しているが、にわかに信用できない。ところで、請求人は、確定審、控訴審及び当審において本件犯行当時被害者がEの嫁さんであることを知らなかった旨供述しているのであるが、請求人の控訴審での証言並びにEの確定審での証言及び同人の同職員に対する同月九日付供述調書によれば被害者が請求人の居住する所から歩いて二〇分位のところで居住するようになったのは、本件からわずか一か月前の昭和五三年一二月二二日、二三日ころであったこと、請求人は、そのころないし本件の当時まで居住地と離れた泉佐野市にある魚屋に通勤しながら働いていたことが認められ、かような状況にあった請求人が、わずか一か月の間にEの嫁さんであることがわかるような状況で面識を得る機会があったかどうかの点に疑問が残らないわけではない。この点について、請求人は、「同女が家の近所でEと一緒に歩いているところを二、三回見かけた。」旨司法警察職員に対する同月九日付及び検察官に対する同月一二日付各供述調書の中で供述しているが、たとえそのとおりであるとしてもそのような状況下でその程度会ったぐらいでEの妻の顔まで記憶していたかどうか疑問が残るうえ、本件で請求人が被害者をEの妻であると気付いた時期に関する供述の変遷内容及びその過程に徴すると、却って公判廷で請求人が供述するとおり本件当時被害者をEの妻であるとまでは知らなかったのではないかという疑いも払拭し去ることができない。かように考えると被害者殺害の契機についても、重大な疑問を生じるのである。

かようにして、請求人の被害者に関する認識状況についての供述内容に変遷のあることは請求人の供述の真実性につき、重大な疑問を生ぜしめる。

ハ 被害者の殺害の契機及び殺害の状況

請求人は、被害者の殺害の契機及び殺害の状況につき、同人の司法警察職員に対する同年一月二七日付供述調書(一二枚綴りのもの)では、「請求人を除く四人が姦淫したあと、Vが『こいつ、殺してしまえ』と言って、同人がYと一緒に同女の首を絞めて殺した(ただし、Vが右のように言った理由については、特に述べていない)。」旨供述し、同職員に対する同年二月三日付供述調書では、「請求人が最後に姦淫をしたあと、被害者を知っているとVに言ったところ、同人が、ばれるから殺してしまおうと言い、他の者もそれに同調し、Vが被害者の上に馬乗りになり、両手で同女の首を絞め、請求人も同女の左肩のほうからVの両手の上から押さえ込んで同女の首を絞めた。」旨供述し、検察官に対する同月六日付供述調書では、「請求人が最後に姦淫をしたあと、被害者を知っていると皆に言ったところ、Vら皆が被害者を殺せと口々に言い、Vが被害者の上に馬乗りになり、両手で同女の首を絞め、請求人も同女の左肩のほうからVの両手の上から押さえ込んで同女の首を絞めた。」旨供述し、同職員に対する同月一〇日付供述調書では、「請求人が最後に姦淫をしたあと、被害者を知っているとVに言ったところ、同人が、この侭帰したらやばいから殺してしまおうと言い、Vが被害者の上に馬乗りになり、両手で同女の首を絞め、Yも同女の頭の方からVと共に両手で同女の首を絞め、更に請求人もVの両手の上から同女の首を絞めた。」旨供述し、検察官に対する同月一二日付供述調書では、「請求人が最後に姦淫をしたあと、被害者を知っていると皆に言ったところ、Vら皆が被害者を殺せと口々に言い、Vが被害者の上に馬乗りになり、両手で同女の首を絞め、Yも同女の頭の方からVと共に両手で同女の首を絞め、更に請求人も同女の左肩の方からVの両手の上から同女の首を絞めた。」旨供述している。

そこで、右各供述を検討するに、まず、殺害の実行行為者の点であるが、この点については、右のとおり、当初、VとY、そして、Vと請求人、更にV、Y、請求人とその供述が変遷しているところ、請求人がその供述どおりにその場にいて同女の首を絞めたのであれば、誰がその実行をしたのか強く印象に残っていると思われ、右のような変遷が生じる余地はないはずである。そして、殺害の契機についても、当初は、その理由がはっきりしていないが、同職員に対する同年二月三日付供述調書以降は、請求人がVに被害者を知っていると言ったことから同人が殺せと言ったことが契機となっているのであるが、請求人が被害者を予め知っていたか否かについては仮に知っていたとしても犯行現場で被害者がEの妻であることを認識したいきさつについての供述に重大な変遷があって納得し難いところであるから、結局殺害の契機に関する請求人の捜査官に対する自白には重大な疑問がある。

(三) 以上のとおり、請求人の捜査官に対する自白には、本件犯行の姦淫行為、被害者に対する認識、殺害の契機、殺害行為本件現場付近での足跡痕・指掌紋など枢要な点において客観的事実に符合しなかったり、その供述の変遷過程やその内容に看過し難い多数の疑問があり、捜査官による長時間の追及を受け、想像や推測を交じえて、その場その場で捜査官の想定した状況に迎合する供述をしたもので請求人の経験に基づく記憶により供述したものではないのではないかという疑いを払拭できず、請求人の右自白全体の真実性に重大な疑問が残るものというべきである。Eに対する自白についても、その内容からして捜査官に対するものと同様にその自白全体の真実性に重大な疑問が残る。

四  V、Y、X、Wの各自白について

1  確定判決でその有罪認定の主要な基礎となった本件の共犯者とされた請求人以外のV、Y、X、Wの検査官に対する各自白(Vの昭和五四年二月六日、同月一四日付、Yの同月五日、同月一一日付、Xの同月六日、同月一三日、同月一六日付、Wの同月六日、同月一三日、同月一五日付各供述調書)は、多少のくい違いはあるもののそこで供述されている本件犯行の大要は、「Vに指示されて請求人、X、Wの三人が本件ハウスの中で待機していた際、同ハウスの東側にある市道上でVとYの両名が被害者を捕まえ、そして、同ハウスと右市道に挟まれた畑の中に引っ張りこみ、同所で同女を倒したうえズボンなどを脱がしてその下半身を裸にさせ、Vが同女にカッターナイフを突き付けるようにしながらVとYの両名が被害者を挟むようにして同ハウスの中に連れてきた。その後直ちに皆で、同女を押し倒し、V、Y、X、W、請求人の順番でそれぞれ姦淫し、その際全員が射精している。請求人が最後に姦淫をしたあと、同人が同女のことを知っていると言ったことから、Vが同女を殺そうと言ったため、同女を殺すことになり、VとYの両名が被害者の首を絞めて殺した。その後でVは、請求人に指示して同女の荷物を同ハウスの中まで持って来させ、Vがその荷物の中を調べ、その中から財布を取り出し、同人のポケットの中に入れていた。同荷物は、Vが請求人かYのいずれかに指示してその始末をさせている。」というものである。

Vら四人の自白のとおりとすると、請求人ら五人が順次被害者を姦淫し、その際全員が射精したというのに同女の膣内に残された膣液と精液の混合液ないし同女の着ていたオーバーに残された精液ないし膣液と精液の混合液斑痕からXと同一の血液型を除く請求人らの血液型が検出されていないこと、また被害者の乳房に付着していた唾液からも同様Xと同一の血液型を除く請求人らの血液型が検出されていないこと、請求人ら五人は、本件の犯行現場である同ハウスの内外を歩いたりしているというのにもかかわらず同所で同人らの足跡痕が発見されていないこと、また、右四人の自白によれば、少なくとも、Vと請求人が被害者の荷物に触れたとされるのに被害者の荷物及び犯行の現場から請求人を含む五人の者に一致する指掌紋が発見されていないこと、さらに、畑に残る前記踏み跡の痕跡の幅や通路の状況も右四人の自白に符合しないことは請求人について述べたのと同様であって、これらの事実がVら四人の右自白の真実性について、重大な疑問を生ぜしめることは、請求人の自白について述べたのと同じである。

もっとも、本件の犯行の現場に毛髪が遺留されてあるが、これは瀧川昭二作成の同年三月一四日及び同月二〇日付各鑑定書、同人の確定審における証言によれば、「遺留さた毛髪の血液型、染色の状況、硬さなどを総合すると、被害者着用のオーバーに付着していたB型の頭髪一本がVのもの、パンタロンに付着していたB型の頭髪一本がWのものと推定される。」というにとどまり、他方松本秀男作成の昭和五七年四月三日付追加鑑定書によれば、本件の犯行の現場に遺留された毛髪の一部につきV、Wのそれと相似性が認められるものの、それらからの異同の決定(固体の識別)は困難である旨の鑑定がなされている。そうすると、本件の犯行の現場に遺留された毛髪がV及びWのものであるとは到底断定することはできず、右毛髪は、本件犯行と請求人らを結びつける証拠とすることができない。

2  以上のとおり、確定判決に当たって、請求人の有罪認定の基礎となったVら四人の検察官に対する右各供述調書の供述の真実性について重大な疑問があるのであるが、そのほかさらに以下のとおり、それぞれの捜査段階の供述に看過し難い疑問点が存在するので、それぞれの供述について個別的に検討する。

(一) Vについて

イ カッターナイフ

Vが本件犯行に使用したというカッターナイフについて、Vは、司法警察職員に対する昭和五四年二月一日付供述調書では、その大きさや形が記載された図面が添付されたうえ「それは、普通のそれに比べると少し大きめのもので、刃の長さは、約一〇センチメートル、刃の幅は、約一・三センチメートルで、その柄の部分が黄色のプラスチックで出来ていて、刃の部分を柄の中にしまいこむことができるものである。それを自宅から持ち出したのは、本件の二日前である同年一月一九日のことであって、特に理由もなく着ていた服のポケットに入れて本件の当時も持っていたが、事件のあとの同月二三日にそれがあった自宅の道具箱に戻した。」旨供述し、同職員に対する同年二月九日付供述調書では、「本件の二日程前、自宅の道具箱の中から持ち出したもので、刃の長さが約一〇センチメートルで、その柄の部分が黄色のプラスチックで出来ているものである。」旨供述し、同職員に対する同月一〇日付、同月一二日付各供述調書では、「事件のあとの同月二三日にそれがあった自宅の道具箱に戻した。」旨供述し、同職員に対する同月一五日付及び検察官に対する同月一七日付各供述調書では、「Vの自宅の道具箱から警察に押収されたカッターナイフを示され、それが本件で被害者を脅かすときに使用したものである。」旨供述している。

ところで、右押収にかかるカッターナイフは、ごく普通のものであって、Vの供述どおりに同人の自宅の六畳の間の机の最上段の引出しの中から見つけられたものであるが、その大きさや形は、同人が右のとおり当初図面に書き、そして、供述していたものと明らかに相違しており、普通のものより少し大きめのものというようなものではない。Vが凶器としてカッターナイフを使用したものであれば、自身が使用したものであり、それを数日間にわたって着用していた服のポケットに入れていたというものであるから、その大きさや形について右のようにその記憶が変遷するものとは考え難い。

ロ その他

Vは、被害者の殺害に直接関与した者として、司法警察職員に対する同年一月三〇日付供述調書では、「V、Y、請求人」の三人を挙げていたが、その後の捜査官に対する各供述調書(同職員に対する同年二月三日付、同月四日付、同月九日付、検察官に対する同月六日付、同月一四日付)では、「V、Y」の二人しか挙げず、請求人を除外した理由について何等の説明もなされていない。そして、本件犯行場所の決定の際にVと請求人との間でもめたかどうかという点について、Vは、逮捕されその身柄を拘束された当初である同職員に対する同年一月三〇日付、同年二月三日付各供述調書では、「Vは、請求人から同ハウスを指示され、そこが道から入り込んでいて、付近に住宅が少なく畑ばっかりで女を連れ込むのにええ場所と思い、そこですることになった。」旨供述しているのに、同職員に対する同月九日付、同月一三日付、同月一五日付及び検察官に対する同月一四日付各供述調書では、「Vは、請求人から指示された同ハウスを、何や畑やないか、そんなとこでやったら服も汚れるし、他にええとこないのかと思い、場所のことで請求人と揉め、口喧嘩のようになり、請求人の味方をしたWに対しても怒った。」旨供述しており、このような変遷を生じた理由について何等の説明もなされていない。この二点については、真実経験したのであれば、その記憶が変遷することは考え難く、その供述の変遷それ自体不合理でかつ不自然なものであり、これらに関する供述は、信用性が薄いといわざるを得ない。

以上の事実に前記四1で記載したような事情を照らし合わせると、Vの捜査段階における各供述はその枢要な点において、その真実性について、多大な疑問点が残り、Vの検察官に対する各供述調書はもちろんのこと、司法警察職員に対する各供述調書全体についてその真実性についても多大な疑問が残るものといわなければならない。

(二) Yについて

イ 被害者殺害の態様及び直接の関与者

Yは、被害者殺害の態様及び直接関与した者について、司法警察職員に対する昭和五四年一月二七日付供述調書では、「誰かが被害者を知っていると言ったため、私は、殺してしまえと言って、同女に乗りかかり、両手で同女の首を絞めているとVも私の手の上から同じく首を絞めた。」旨供述し、その翌日付の検察官に対するYの弁解録取書では、「同女の首を絞めた者は、V、私、請求人の三人である。」旨供述し、同職員に対する同年二月三日及び検察官に対する同月五日付各供述調書では、「請求人が被害者を知っていると言ったため、Vあるいは、同人と私は、殺してしまえと言って、まず、私が同女に乗りかかり、両手で同女の首を絞めているとVも私の手の上から同じく首を絞めた。私が手を放したあと、Vが請求人に絞めよと言ったため、請求人が更に同女の首を絞めた。」旨供述し、同職員に対する同月八日付及び検察官に対する同月一一日付各供述調書では、「請求人が被害者を知っていると言ったため、Vが殺せと言い、同人が同女に馬乗りになって両手で同女の首を絞め、その際お前らもやれと同人が言ったため、私もVの手の上から両手で同女の首を絞め、私が手を放したあと請求人が私がやったように同女の首を絞めた。」旨供述している。右供述だけでも被害者殺害の契機となった同女を知っていると言った者が請求人かどうか、同女の殺害に請求人が直接手を下したかどうか、VとYのいずれが同女に乗りかかってその首を絞めたのか、その順番という枢要な点について変遷があり、真実経験したことであれば、その取り調べがなされた短期間の間にその記憶が右のように変わるというのは疑問である。

ロ Vの姦淫の回数

Yは、Vの姦淫の回数について、当初の司法警察職員に対する昭和五四年一月二七日付供述調書では、「Vの姦淫は、一番はじめの一回である」旨供述し、その後の同職員に対する同年二月三日付及び検察官に対する同月五日付各供述調書では、「請求人が姦淫を終えたあと、Vが『俺もう一回出来る』といってもう一回姦淫した。」旨供述しているが、検察官に対する同月一五日付供述調書(五枚綴りのもの)では、それを訂正して、「Vは、一度姦淫しただけで、二回したように思ったのは、同人が被害者の首を絞めるために同女の上に馬乗りしたためそのような気がしたことによる。」旨供述しているのであるが、Vが被害者の首を絞める際Yはすぐそばにいたのであるから、殺害のために首を絞める行為を姦淫行為と間違えることはないはずである。この点について、Yは、公判定で「捜査官から誘導されて、お前ら若いから二回ぐらいやっているやろと言われ、Vが二回やったというような調書になった」旨供述するが、これはむしろ真実を述べているものと思われる。

ハ 姦淫の順番のとりきめ

Yは、姦淫の順番の取り決めについて、一貫して、「Vが『俺が一番やぞ』と言い、同人の後の姦淫の順番をジャンケンで決めた。」旨(同職員に対する同年二月二日付、同月八日付(本文部分三三枚綴りのもの)、検察官に対する同月五日付、同月一一日付各供述調書)供述するのに対し、請求人とWは、「Vの後の姦淫の順番をジャンケンで決めたことはない。」旨(請求人の検察官に対する同月一二日付、Wの検察官に対する同月一三日付各供述調書)供述しており、姦淫の順番をじゃんけんできめたかどうかについて姦淫した者の間でその記憶に相違が生じることは、通常ありえず、その相違は、不自然である。

以上のような事実に前記四1で記載したような事情を総合すると、本件犯行の枢要な点において、その真実性について、多大な疑問点が残るものであるから、Yの検察官に対する各供述調書のみならず、司法警察職員に対する各供述調書全部についてもその真実性につき、多大な疑問があるものというべきである。

もっとも、Yの手の甲に傷がついており、これは犯行の際に被害者に掻かれたことによって生じたものではないかとも考えられるところ、Yは、捜査段階で、捜査官に対して被害者に掻かれて出来た傷であると認めていたが、確定審の公判以後、それは、Wとの両手指を組み合わせた力比べをしたしたときに生じたものである旨供述している。司法警察職員(角谷末勝)作成の同年一月二九日付実況見分調書(抄本)及び四方一郎作成の同年六月一九日付鑑定書によれば、Yの右手背に二箇所及び左手背に三箇所の傷があり、その傷は本件の犯行日ころに受傷したものであること、そして、その傷痕は、擦過作用によるものであって、その擦過面からすると、爪のような形状のものによって生じたものであることが認められる。四方一郎は、確定審において、同女の爪がある程度伸びていることを前提として、同女の爪などによって掻かれたことによって生じることも可能である旨の証言をし、当審では、同女の解剖時当時の爪の程度であっても右のような傷が生じることも可能である旨の証言をしている。しかしながら面谷尚也及び横田信共同作成の検査処理票及び横田信の控訴審における証言によると、同女の爪は、いずれもほとんど伸びておらず、鋏で採取することが困難なほど短かったことが認められる。そして、右の手の甲の傷は、Yの両手甲のちょうどWの手と互いに指を交差して手を組合せた位置と同じ位置に存在するだけで身体の他の部位や他の共犯者の身体には存在しないことやYの自白の真実性に対する疑問を合わせ考慮すると、Yの手の甲の傷は、必ずしも被害者に掻かれたことによって生じたものとは直ちに認めがたい。

(三) Xについて

イ 被害者殺害の契機

Xは、被害者を殺害する契機について司法警察職員に対する昭和五四年一月二七日付供述調書では、「被害者が凄い勢いで抵抗したため、Vが『殺ってしまえ』と言って自ら同女の首を絞めた。」旨供述し、そして、同職員に対する同年二月三日付供述調書では、「請求人が姦淫している時に同女を知っていると言った。」旨の供述をしながら、それが同女殺害の契機となった旨の供述まではしていないところ、同職員に対する同月四日付、警察官に対する同月六日付、同職員に対する同月一一日付、検察官に対する同月一三日付各供述調書では、「請求人が姦淫している時か、それを終えたあとに同女を知っていると言ったことを契機として、Vが『殺ってしまえ』と言って、同人が同女の首を絞め、皆で殺害した」旨供述しており、被害者を皆で殺害した契機となった理由について、右のような短期間の間にその供述が変遷することは不自然である。

ロ 被害者の殺害状況

Xは、被害者の首を絞めた者について、検察官に対する弁解録取書、司法警察職員に対する同年一月二七日付、同年二月三日付、検察官に対する同月六日付各供述調書では、「Vが一人、同女の首を絞めた。」旨供述しているが、同職員に対する同月一〇日付供述調書では、「VとYの両名が同女の首を絞めた。」旨供述し、検察官に対する同月一三日付供述調書では、「Vが同女の首を絞めている時、怖くて下を向いて必死で同女の足を押さえていたため、Yが同女の首を絞めていたかどうかわからない。」旨供述し、検察官に対する同月一六日付供述調書(二枚綴りのもの)では、「Vが、同女の首を絞めていたことは覚えているが、怖くて下を向いていたので請求人やYのことはわからない。」旨供述しているところ、誰が首を絞めたかという点は、強く印象づけられる事実であるから右のような変遷が生じるのは不自然である。

ハ 姦淫の順番等

Xは姦淫の順番について司法警察職員に対する同年一月二七日付供述調書では、「V、二番目か三番目に私、次にWとYで請求人が姦淫したかどうかわからない。」旨供述するのに対し、同職員に対する同月三日付、同月九日付、検察官に対する同月六日付各供述調書では、「一番のV以外の四人の姦淫の順番は、予めジャンケンで決め、それにしたがって、V、Y、私、W、請求人が姦淫した。」旨供述しており、また、犯行現場近くの二色ノ浜駅に皆で行った時刻についても、同職員に対する同年一月二七日付供述調書では、「午後八時ころ二色ノ浜駅に着き、その後本件ハウスに皆で入り、女の人が通るのを皆で交代で見張った。」旨供述するのに対し、同職員に対する同月三日付、同月九日付各供述調書には、「二色ノ浜駅についた時刻は、はっきりしないが、午後一一時ころであって、VとYの二人が強姦する女の人を探しに行った。」旨供述し、いずれの場合もかように供述が変遷しているのは不自然であって、同供述の真実性について強い疑問を生じる。

以上のような事実に前記四1で記載したような事情を照らし合わせると、本件犯罪の枢要な点において、その真実性について、多大な疑問が残るものであるから、Xの検察官に対する各供述調書のみならず、司法警察職員に対する各供述調書全部についても、その真実性について、多大な疑問を投げ掛けるものである。

(四) Wについて

イ 被害者殺害の状況

Wは、被害者殺害の状況について、司法警察職員に対する同年一月二七日付供述調書では、「VとYの両名がいきなり被害者の首をしめた」旨供述し、検察官に対する同年二月六日付供述調書では、「Vが同女の胸の上で跨ぐようにして、両手で同女の首を絞め、その結果、同女の身体の力が抜け、死んだと思ったあと、Vに替わってYが同女の胸の上で跨ぐようにして、同女の首を絞めた。」旨供述し、同職員に対する同月九日付、検察官に対する同月一三日付各供述調書では、「Vが同女の胸の上で跨ぐようにして、両手で同女の首を絞めたが、V一人では、締め切れなかったため、YがVと一緒になって同女の首を絞めたため、同女の身体の力が抜け、死んだと思った。」旨各供述しており、誰が被害者の首を絞めたかという点についてその供述内容が変遷しているのは不自然というほかない。

ロ 姦淫の順番

Wは、姦淫の順番について司法警察職員に対する弁解録取書、同職員に対する同年一月二七日付、検察官に対する同年二月六日付各供述調書では、各人の姦淫の状況を供述することもなく、「V、Y、私、X、請求人の順に姦淫した。」旨供述するにすぎないが、同職員に対する同月九日付供述調書では、各人の姦淫の状況をかなり具体的に供述したうえ、「V、Y、X、私、請求人の順に姦淫した。」旨供述し、W自身の姦淫の順番を異にして供述しており、この点についても、右のとおり変遷しているのは不自然である。

ハ 被害者を本件ハウスに連れ込んだ状況

Wは、被害者を本件ハウスに連れ込んだ状況について、司法警察職員に対する同年一月二七日付供述調書では、「VとYの両名が同女を横の田んぼに連れ込み、裸にさせ、すぐ近くの同ハウスに連れ込んだ。」旨供述し、検察官に対する同年二月六日付供述調書では、「同女が逃げたので、五人皆で同女を追い掛け、畑の中で捕まえ、そこで同女のパンタロンやパンティを脱がして悪戯、その後皆で同ハウスに連れ込んだ。」旨供述し、同職員に対する同月九日付供述調書では、「VとYの両名が同女を畑に連れ込んだあと、そこで右三名がもみあいとなり、それを見ていて僕も加勢しようと思ったが、Vに怒られると思って同ハウスの中から見ていると、VとYの両名が同女を挟むようにして畦道に上がり、同ハウスの方に連れて来たので、僕は、畦道の途中まで迎えに出た。」旨供述し、検察官に対する同月一三日付供述調書では、「同女がVとYの両名に同ハウスの方に引っ張って来られた際、畑の中に逃げたので、同女を捕まえるため、僕は、同ハウスを飛び出して行ったところ、VとYが同女を捕まえ、Vらがそこですぐに、同女のズボンやパンティを脱がしたが、その時僕も同女の陰部を触った。Vらは、そこで姦淫することなく同女を同ハウスに連れ込んだ。」旨供述し、同職員に対する同月一五日付供述調書では、押収されている同女のパンタロンを示されて、「それは、畑の中で、V、Yと同女の三名が揉めているとき、僕が加勢して同畑の中で脱がしたものに間違いない。」旨各供述していたが、最終的に、検察官に対する同月一五日付供述調書では、「今日現場に行って考えてみると、同女が逃げた時、僕は、畑の中まで行っていないような気がするうえ、同女の陰部に触れたのは、Vらが同女を同ハウスに連れてきた時のように思う。」旨供述するに至っている。被害者を本件ハウスに連れ込んだ状況、特に、W自身がそれに係わった状況について、その供述が大きく変遷しているが、それは、同人が真実経験していないことを供述しているのではないかという疑問を払拭することができない。

以上のような事実に前記四1で記載したような事情を照らし合わせると、本件犯行の枢要な点において、その真実性に多大な疑問が残るものであるから、Wの検察官に対する各供述調書のみならず、司法警察職員に対する各供述調書全部について、その真実性につき、多大の疑問を投げ掛けるものと言わなければならない。

五  結論

以上の次第で、前記各新規性が認められる証拠によって確定判決を支える請求人の自白及び確定審において共犯者とされたVら四人の各自白の各内容について幾つかの重大な疑問が生じたものであり、また、前記各新規性が認められる証拠によって血液型など物的に請求人を本件の犯行に結び付けるものが無くなったものであるから、もし、右新証拠が確定判決を下した確定審の審理中に提出され、それと既存の全証拠とを総合的に判断すれば、確定判決の有罪認定に合理的な疑いを生ぜしめたものと認められるので、請求人に対し、無罪の言い渡しをすべき新規かつ明白な証拠を発見したときに該当するというべきである。

よって、本件再審請求は、理由があるから、刑事訴訟法四四八条一項、四三五条六号により、本件について再審を開始することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 小河巖 裁判官 江藤正也 中村哲)

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